胆振線(伊達紋別〜倶知安)
〔最終更新日: 2024/01/19〕
後志内陸部と胆振西部を結ぶローカル鉄道。
赤字ローカル線廃止の一環で、1986(昭和61)/10/31 に廃止。
路線概要
※ NASA World Wind 1.3 のランドサット衛星画像を使用しています。
総延長 83.0km(営業キロ・時刻表より)
全線開通 1941(昭和16)年10月12日
廃止 1986(昭和61)年10月31日
・略史
1919(大正 8)/11/15
倶知安〜京極 開通(京極軽便鉄道として)
1920(大正 9)/07/15
京極〜脇方(現京極町)開通(京極軽便鉄道として)
1922(大正11)/09/02
名称変更 京極軽便鉄道 京極線
1928(昭和 3)/10/21
京極〜喜茂別 開通(胆振鉄道として)
1940(昭和15)/12/15
伊達紋別〜新大滝 開通(胆振縦貫鉄道として)
1941(昭和16)年
9/27 胆振縦貫鉄道が胆振鉄道を吸収合併
10/12 新大滝〜喜茂別 開通(胆振縦貫鉄道として)
1944(昭和19)/07/01
胆振縦貫鉄道、京極軽便鉄道所有鉄道を国有化
1970(昭和45)/10/31
京極〜脇方 7.5km(脇方支線)廃止
1986(昭和61)/10/31
伊達紋別〜倶知安 全線廃止
この路線は全区間単線・非電化である。倶知安で函館本線に合流、伊達紋別で室蘭本線に合流する。
昭和新山による影響
この路線は、洞爺湖のすぐそばにある「昭和新山」の麓を通っている。
国有化が昭和19年になされるが、国有化直後は、「昭和新山」自体が無かった。
「昭和新山」は、昭和19年11月頃から、突然隆起して出来た山であることは、今となっては知られている。
しかし、この山の隆起によって、胆振線が使用不能な状態になり、何度かルートの変更をしていることは戦時中だったためか、あまり記録に残っていない。
2〜3回はなされているはずである。
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